随筆 ブリテン島のどこかで (前)

ブリテン島のどこかで (前)

もう20年ほど前だろうか。
どの辺か思い出せないが、冬、イングランドかスコットランドをヒッチハイクで北に向かっていた頃のこと。

その頃、チェックアウト時間に大らかな宿にいる時はだいたい午後になって起き、たらたらと支度をしてから出発した。
まわりの旅人は朝早く出るが、当時早起きが極度に面倒だったのと、支度に人の何倍もかかる性質なので午後3時、4時という、冬場なら夕暮れ直前に発つことも普通だった。

宿にいた気の合うやつや、また会いたいような女の子にも、いつもこっちが寝ているうちに出発するので見送りをすることは滅多になかった。
名残惜しんでくれる相手には前の晩に、「明日の朝お別れを言いたいんだけど、もし入れ違って会えなかってたりしても、気をつけて旅を楽しんで」、とか、「そのうち君の街に訪ねていい?」みたいなことを言ってから寝る。
やはりいつも入れ違う。

たまに紙にメッセージを書いてレセプションや枕元に残して行ってくれることもあった。

どこの宿でも、当然今日も泊まると思っているオーナーやスタッフが「今から出るのか?」と驚く。
普通の旅行者と違って期限がない旅なので、何時に着いて何を見て次の朝にはどこの街に出発という計画もない。
宿のオーナーやスタッフが「今から出ても日が暮れるぞ、向こうの宿は決まっているのか?」と親身になって心配してくれるが、今のようにスマホで予約をできるわけでもなし、ガイドブックで見当をつけてもヒッチハイクではたどり着くかどうか分からないから電話で予約をすることもない。

なんとかなってきたし、ならなかったら野宿をした。

天気の変わりやすい国で、田舎の漁師町の港で漁具の間で満点の星空を見ながら、ようやく寝付いたと思うと急に豪雨になり飛び起きたこともあったが。

で、出発といっても、そこから車を止めるまでがまた時間が掛かったりする。
二時間たってもまだ宿を出たところの道端にいたこともあった。
ヒッチハイクに関してはフランス人の方が優しい気がする。
イギリスはツーリスティックな場所、もしくは何もないような田舎でないと意外に乗せてくれない。

怪訝そうな顔でこっちをじろじろ見ながら通り過ぎて行く感じの悪いやつ、すれ違いざまにからかったり、何か言い捨てて行くようなやつもちょくちょくいた。

こっちも若い頃なので、その度に立てている親指を中指に代えて応戦する。
一度リバプールの郊外だったか、サッカーの試合があった日にパトカーが停まってわざわざ警官が下りてきて、「イギリスにはヤバイやつが山ほどいるからヒッチハイクはするな」と親切に忠告してくれたことがあった。
至極ごもっとも。

イギリスでは200台以上ヒッチハイクをしたから、おそらく1000台以上に向かって中指を立てた。

今思えば、よく痛い目に会わなかったものだ。

 

とは言え、乗せてくれた人たちはやはり旅人に親切だった。

知らないことがいろいろ聞けて面白いし、何かを伝えよう考えながら喋っていると、「それは英語ではこう言うんだよ」と言い回しを教えてくれたりする。

クラシックのオープンカーにシャーロックホームズのような着こなしの英国紳士が拾ってくれたり、スコットランドではスペイン語のようにRを巻き舌で発音する、映画に出てくる田舎者のような純朴なおじさんとの会話を楽しんだりした。

「ご飯を食べて行けよ」、とか「うちに泊まればいいよ」ということも何度かあった。

一度、釣りが好きという話題になった時に、日本の地元では何を釣っているのかと聞かれた。ちょっとためてから「ブラック・シー・ブリーム(チヌ=クロダイ)だ」と答えると、その人が「ブラック・シー・ブリームか」と小さくつぶやき、感心したようにこっちの顔を見て、「君の英語は本当に素晴らしい!」と褒めてくれた。
「いえいえ、まだまだです」と返したが、趣味の話をするために『チヌだけはちゃんと辞書で調べてあるんだよ』と見えないようにほくそ笑んだ。

途中まででも方角が合えば行けるところまで乗せてもらう、分かれ道で降りてまた次の車を探す、と一日に3台、4台乗り継ぐこともあったた。観光スポットを訪ねる旅でもないので少々道が逸れたり、違う街に着いてもまあいいかという気楽な旅をしていた。

因みにイギリス人はヒッチハイクをリフト(lift)と言っていた。

 

続き ブリテン島のどこかで (後) 

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