随筆 「君の名はポンポコピー」
キリスト教圏の人名の多くは聖書に登場する人物から取ってあり、言語によって変化しながらも、国は違えど共通の名前が多い。
英語圏でバンタインがスペイン語圏ではバレンティーノ、クリストファーはクリストバル、スーザンはスサナ、ステファニーはステファニアなど。
そのためラテンアメリカを旅をしていると「俺の名前を日本語で何て言うんだ?」と訊かれるが多く、これが実に鬱陶しい。
知識階級の一部を除けば、日本はキリスト教圏外だからなどと考慮できる人はまずいない。
はじめは訊かれる度に、
「日本人の名前は聖書になぞってないので、その名前を日本語に翻訳できないよ」
と丁寧に説明していたが、そこから「日本人は神を信じないのか(キリスト教でいう神以外は認めないという強制)」などとくだらない議論を吹っかけられて、時間を無駄にしたり不快な思いをしたりすることが多く、それが毎日のように起こるので次第に我慢の限界がくる。
ということで、ある日からこの質問をされた時は、男なら『ポンポコピー』、女なら『ポンポコナー』と答えることにした。
セルヒオだろうがルイスだろうがポンポコピー、マリアもイサベルもポンポコナー。
相手が学生だろうと政治家だろうとこれで通す。
「俺、フランシスコって言うんだけど日本語で何て言うんだ?」
「フランシスコか、フランシスコは日本語ではポンポコピーだな」
と言うと、さっき偉そうに肩で風を切って歩いきた警官も
「ポン・・、ポコピー・・」とゆっくり呟いた後、だんだんこみ上げてくる恥ずかしさでなんとも微妙な顔をする。
さらに追い討ちをかける。
「そう、お前日本に来たらポンポコピーな、良かったなぁポンポコピー。 アディオース、ポンポコピー!」
と肩を叩いてさっさと立ち去る。
今日もまた一人幸せにしてやった..と歩きながらほくそ笑む。
追記 相手が複数のときは、寿限無・寿限無を順番に言ってました。
覚えている限り、スペインを含むヨーロッパでこの質問をされたことは一度もなかった。
ただし、上記のようにあしらったのはマナーのない無神経な相手に対してだけです(そんなのが大半ですが)。無論、こちらに敬意のある人には敬意をもって応えました。
追記2 この随筆は平成26年(2014年)12月25日 ペルーに住んでいたころに、二十数年ぶりにフェイスブックで再会した日本の友人たちのために書いたものです。